2022.4.21 子育て
イギリス生まれの長寿おもちゃ! ~ジグソーパズルの歴史をひもとく~
●はじめに
コロナウイルスの感染拡大も収束せず、外出しづらい日々が続いています。
以前、「在宅で子どもも大人も楽しめるもの」として、「ぬりえ」をご紹介しました。
もう1つ、在宅で子どもも大人も楽しめるものがあります。
それは…ジグソーパズル、です。
今回は、そのジグソーパズルの歴史を解説していきます。
●「地図」と「糸ノコギリ」
ジグソーパズルは、日本が江戸時代だった1760年ごろ、ロンドンの地図職人によって初めて作られました。
世界初のジグソーパズルの絵柄は、「地図」でした。全てのピースを組み合わせると1枚の地図ができあがる、というものです。「子どもが地図を覚える」という学習・教育のために作られたパズルでした。
これは、木の板を糸ノコギリで切り分けて作ったものでした。糸ノコギリを指す英単語が「ジグソー」であるため、「ジグソーパズル」という名前が付いたのです。
●「モナリザ」と「国産化」
ジグソーパズルは、1970年代に日本でも普及が始まりました。
その「始まり」には、あの有名な絵画「モナリザ」が深く関わっています。
1973年は、翌年に「モナリザ日本初公開」を控えた年だったため、日本で「モナリザ」が大きな話題を呼んでいました。そこで、大阪のおもちゃメーカー「やのまん」が「モナリザ」のジグソーパズルを海外から輸入して発売したところ、大ヒットしました。ですが、本来はヨーロッパ人向けに作られた商品なので、日本人に合わず、人気は続きませんでした。
「日本人に合うものを作ろう」ということで、1974年、日本で初めて国産ジグソーパズルが誕生しました。絵柄は、誰もが知る「富士山」や「金閣寺」などでした。
ある程度の人気が出たころ、それを後押しする現象が起きます。あるテレビドラマの一場面で人気女優がジグソーパズルに挑戦したり、プロ野球選手が「集中力の鍛錬に良い」とジグソーパズルをしたりしたことです。著名人たちがジグソーパズルに取り組む姿は、ジグソーパズル人気を急激に高めました。
●独自の文化
1980年代、日本独自のジグソーパズル文化が生まれました。
「有名なアート作品が絵柄に採用されたものを、額縁に入れて飾る」というものです。パズルを単なるおもちゃではなく、絵画のように扱う━━海外にはない日本独自の文化でした。
ですが、この文化は90年代に入ると勢いが衰えました。絵柄が「アート作品」から「アニメの絵」に変わっていったため、「絵画のように飾ること」が以前ほどさかんではなくなったのです。
90年代は、ジグソーパズルのブームそのものが下火になりました。テレビゲームなど「デジタルおもちゃ」が人気となったためです。
しかし……ジグソーパズルは生き残ります。
●「変化」と「コロナ禍」
90年代に下火となったジグソーパズルですが、2000年代前半に「大きな変化」が生まれました。
それは、今までにない画期的なジグソーパズルが登場したことです。
「やのまん」が売り出した「球体型」です。立体的なもので、「組み合わせる」というより「組み立てる」という感じです。これが大ヒットしました。
やがて、「立体で透明」というタイプのパズル、1ピースのサイズを「世界最小」とうたったもの(平面)まで登場しました。
これらの「変化」によって、ジグソーパズルは少しずつ人気を取り戻していきました。
新型コロナウイルスの感染拡大で緊急事態宣言が出された2020年春ごろ、ジグソーパズル人気が急上昇しました。人々の在宅時間が長くなり、パズルにじっくり取り組むことができるようになり、パズルの魅力に気づく人が増えたのです。
●おわりに
最初は、地図職人によるシンプルな「知育おもちゃ」でした。それが名画とコラボして大人も楽しませ、芸能人などの影響でブームになりインテリアの一種になりました。
やがてブームが衰えると姿を変えることで生き残り、未曾有の感染症の影響で再び注目を浴びました。
ジグソーパズルには、荒波のように揺れ動く歴史があったのです。その歴史は、これからも続いていくことでしょう。
ジグソーパズルは、親子で協力して取り組むこともできます。ピースをはめる位置を探したり、色やサイズを見極めたりすることに一緒にチャレンジして、うまくいったとき、達成感と満足感を共有できるのではないでしょうか。